切り裂きジャック
1888年、イギリスで売春婦ばかりを襲う連続猟奇殺人事件が発生した。
少なくとも5人の女性を殺害したにもかかわらず、1世紀以上経った現在も犯人は不明。
世界で最も有名な未解決事件である「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」を紹介する。
概説
切り裂きジャックは、1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイーストエンド・オブ・ロンドン、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラに切り裂き、殺人を実行したが逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。当時の定義づけによる精神病患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明。
切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。しかし近年、最新のプロファイリングにより肉屋であるという説も有力とされた。
ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたなど、様々な異説がある。
「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。
被害者
一連の事件における被害者の数については、現在でもさまざまな説が唱えられているが、以下の5名は切り裂きジャックによる犯行と確実視されている。
1888年8月31日(金) – メアリー・アン・ニコルズ(42歳)
1888年9月8日(土) – アーニー・チャップマン(47歳)子宮と膀胱を犯人により持ち去られる。
1888年9月30日(日) – エリザベス・ストライド(44歳)犯人が目撃された唯一の事件。
1888年9月30日(日) – キャサリン・エドウッズ(43歳)左の腎臓と子宮を犯人に持ち去られる。
1888年11月9日(金) – メアリー・ジェイン・ケリー(25歳)皮膚や内臓を含めほぼ完全にバラバラという最も残忍な殺され方をした。
犯行は夜、人目に付かない隔離されたような場所で行われ、週末・月末・もしくはそのすぐ後に実行されている点が共通しているが、相違点もある。キャサリン・エドウッズはただ一人、シティ・オブ・ロンドンで殺害された。メアリー・アン・ニコルズはただ一人、開けた通りで発見された。アーニー・チャップマンは他の被害者とは違い、夜明け後に殺害されたと見られている。
被害者(推定)
先述の5名以外にも、切り裂きジャックによる被害者と推測されている人物は、以下の通りである。
フェアリー・フェイ
1887年12月26日、杭で腹部を串刺しにされて殺害された。犯行手口が異なる。
アニー・ミルウッド
1888年2月25日、下腹部と足を何度も刺されたが、一命は取り留めたものの、退院した同年3月、死亡した。
エイダ・ウィルソン
1888年3月28日、首を2度刺されるが一命を取り留めた。
エマ・エリザベス・スミス
1888年4月3日、局部に鈍器を入れられて重傷を負うが、家まで歩いて帰った。警察には2・3人のギャング(一人はティーンエイジャー)に襲われたと話したという。2日後に病院で死亡。
マーサ・タブラム
1888年8月7日、全身を39箇所も刺されて殺害された。動機の欠如、犯行の残忍さ、地理的・時期的な点から見ても、切り裂きジャックの被害者である可能性が高いと見られている。ただし、喉を掻き切るのではなく刺されている点が他の被害者と違う。
“ホワイトホール・ミステリー
1888年10月2日、頭部のない女性の胴体がホワイトホールで発見された。片方の腕はピムリコの近くのテムズ川から発見された。片方の足は遺体が見つかった近くに埋められていたが、他の部分は発見されなかった。
アニー・ファーマー
1888年11月21日、首を切られるも、傷は深くなく命に別状はなかった。警察は自傷行為を疑い、捜査は中断された。
ローズ・ミレット
1888年12月22日、首に絞められた跡があり窒息死であったが、彼女が酔って人事不省の時に、自分のドレスの襟で誤って窒息したのではないかという説もある。
エリザベス・ジャクソン
1889年5月31日から同年6月25日までの間に、遺体の各部がテムズ川で見つかった。
アリス・マッケンジー
1889年7月17日、頚動脈を切断されて殺害された。
“ピンチン通りの殺人”
1889年9月10日、身元不明の女性遺体(胴体)が発見され、リディア・ハートという売春婦ではないかと見られている。”ホワイトホール・ミステリー”との連続殺人と見なされ、犯人には”トルソ・キラー”や”トルソ・マーダー”というニックネームが付けられた。切り裂きジャックが”トルソ・キラー”なのか、他の人物なのかは分かっていない。前述のエリザベス・ジャクソンも”トルソ・キラー”の被害者ではないかという説がある。
フランシス・コールズ
1891年1月31日、喉を掻き切られて殺害された。
キャリー・ブラウン
1891年4月24日、殺害現場がニューヨークのマンハッタンである。絞殺したのち、ナイフで遺体を切断するという犯行手口。鼠径部に大きな傷があり、足や背中も刺されていたことが判明している。ベッドの上に卵巣が発見されたものの、持ち去られた臓器はなかった。一連の事件と類似するケースであるものの、ロンドン警察は「切り裂きジャックとは無関係」と結論づけた。
壁の落書き?
2件の殺人が犯された9月30日の早朝、アルフレッド・ロング巡査が犯行現場を捜索中、ゴールストン通りで血の付いた布を発見した。後にこの布はキャサリン・エドウッズのエプロンの一部ということが分かった。
その近くの壁には白いチョークで書かれた文書があった。その文書は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.」もしくは「The Jews are not The men That Will be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものであった。
この文を見たトーマス・アーノルド警視は、夜が明けて人々がそれを目にすることを恐れた。彼はその文章が一般大衆の反ユダヤ主義的感情を煽るのではないかと思ったのである。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降、ユダヤ人の犯行ではないかという噂がイースト・エンドで流れていた。そのため、アーノルド警視はこの文書を消すように指示した。
この文章はスコットランドヤードの区域で見つかり、犯行場所はロンドン市警察の管轄内であったため、2つの異なった警察部隊に分かたれることになった。特にロンドン市警察の警察官たちはアーノルドに反対であった。この文章は証拠かもしれず、せめてその前に写真を撮るべきだと主張したがアーノルドは賛成せず、結局明け方に消されてしまう。
切り裂きジャックからの手紙
1888年9月27日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。9月25日付けの消印が押された “Dear Boss” (親愛なるボスへ)の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。
この件が新聞で伝えられると、切り裂きジャックを名乗る手紙が何百通も新聞社などに届いたが、そのほとんどがいたずらかメディアによる自作自演であった。しかし、最初に届いたものを含む以下の3通は、偽物だとは断定できなかった。
1888年9月27日配達(消印25日)
セントラル・ニューズ社に届いた手紙。「切り裂きジャック」の署名がある最初のもの。
1888年10月1日配達(消印同日)
セントラル・ニューズ社に届いた葉書。「切り裂きジャック」の署名。
1888年10月16日配達(消印15日)
ホワイト・チャペル自警団代表ジョージ・ラスクに届いた小包。「切り裂きジャック」の署名はなく、「地獄より」の書き出しで始まっている。アルコール保存された腎臓が同封されており、人間の女性のものであると確認された。医学生によるいたずらだという説もあるが、酒の飲みすぎによりブライト病に犯されたものだという主張をする法医学者もいた。
被疑者
切り裂きジャックの被疑者については、これまで多数の人物が挙げられているが、その中でも以下の7名が有力視されている。
- モンタギュー・ジョン・ドルイト(Montague John Druitt、1857年8月15日 – 1888年12月1日)
弁護士および教師。事件当時から、風貌が似ているという目撃証言が寄せられていた。最後の事件後、テムズ川に飛び込み自殺をしている。
第1・2の事件時、所在不明。メルヴィル・マクノートン(当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより、20世紀半ばから有力な被疑者と呼ばれるようになった。その内容によると、精神病を患っていたことが示唆されている。ただし、マクノートンの記述に間違いが多く(たとえば、職業を医師としているなど)、信憑性に欠ける。マイケル・オストログ(Michael Ostrog、1833年 – 1904年頃?)
ロシア人。海軍の駐在医(外科医)という経歴を持つ。殺人を含む複数の前科があり、詐欺や窃盗の常習犯。
警察に逮捕された末、精神病棟に隔離された経験がある。事件時に所在不明だったことから、当時から被疑者の1人として捜査当局内で名前が挙がっていた。トマス・ニール・クリーム(Thomas Neill Cream、1850年5月27日 – 1892年11月15日)
アメリカ人。医師。危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。
1892年に死刑執行。その際に絞首台で「俺は切り裂きジャッ…」と言い残した(正確には、”I am Jack the…”まで言った時に床板が外された)とされる。しかし、一連の事件が起こった1888年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため、犯行は不可能である。また、ジャックという発言も「私は射精している(I am ejaculating)」の聞き間違いの可能性が指摘されている。アーロン・コスミンスキー(エアラン・コスミンスキ、Aaron Kosminski、1865年9月11日 – 1919年3月24日)
ポーランド出身。ユダヤ系の理髪師。殺人現場であるイースト・エンド近辺に住み、犯罪歴・精神病の入院歴があり、売春婦を憎んでいた。
目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られた。また、切り裂きジャックが書いたとされる手紙と、筆跡が一致しなかったとされるなど、証拠不十分を理由に起訴は断念された。証言も後に撤回されている。
1919年、強制入院先の精神病院で死亡。ジェイムズ・メイブリック(James Maybrick、1838年10月24日 – 1889年5月11日)
木綿職人。事件の3週間前、現場近くにあるミドルセクス・ストリートの部屋を借りていたため(用途不明)、捜査線上に浮上した。
妻のフローレンス・メイブリックに殺害された「メイブリック事件」の被害者として有名。また、メイブリックは冤罪であるという意見も根強い。
1991年に切り裂きジャックと署名のある日記が発見され、メイブリックが書いたものという主張がなされた。一時期話題になり映画化の話も伝えられたが、日記の発見者とされた無職の男の偽造だった。ジェイコブ・リーヴィー(Jacob Levy、1856年 – 1891年7月29日)
ユダヤ人。精肉業者。「ユダヤ人」「死体の解体に慣れ、血まみれの格好をしていても怪しまれない職種」というプロファイリングにより浮かび上がった。
1888年9月30日、3件目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前では、ユダヤ教社会主義の会合が開かれていた。また、4件目の殺害現場にあった壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」という落書きが残されていたことが、ユダヤ人説の根拠として挙げられている。
さらに、4件目の現場であるシティ・オブ・ロンドンの近所に住む、同じくユダヤ人の精肉業者であるジョゼフ・リーヴィーに目撃されたが、ユダヤ人の迫害を恐れたジョセフは、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったと言われている。しかし、ジョゼフが口にした「犯人は被害者より3インチ(約8cm)高かった」という身体的特徴は、リーヴィーに当てはまる。
リーヴィーは梅毒に罹患しており、梅毒から来る精神障害を患い「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リーヴィーの妻は「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。
事件当時、リーヴィーはフィールドゲート街からミドルエセックス街に引っ越したが、両地点も犯行現場を結んだ円内にあるため、地理的プロファイリングとも一致する。ただし、5件目の殺人が発生した頃、リーヴィーはすでに梅毒の末期症状で体の自由が利かず、犯行はおろか日常生活すら困難な状況下にあった。
専門家の間では、「リーヴィーが犯人であった場合、解剖の仕方が異なる点や犯行現場が屋内であったことから、5件目の犯行は模倣犯によるもの」という説が指摘されている。ウォルター・シッカート(Walter Richard Sickert, 1860年5月31日 – 1942年1月22日)
ドイツ人。画家。パトリシア・コーンウェルは、99%の確度を持つミトコンドリアDNAの一致などからシッカートを犯人とした。
仮説
一般に、性的暴行を伴う快楽殺人の犯罪者は、自身の性的嗜好に適った被害者を選ぶ傾向があり(老若男女を問わず暴行を加えて殺害したアンドレイ・チカチーロのような例外もある)、切り裂きジャックについてもメアリー・アンからキャサリンまでの被害者を考慮した場合、中年の女性にそうした嗜好を抱いていたと考えられる。しかし、メアリー・ジェインは年若の女性であることから、便乗犯もしくは別人の犯行の可能性が指摘されている。実際に「ピンチン通りの殺人」(前述)など、切り裂きジャックとされる犯行または切り裂きジャックに類似した犯行を行った人物は、複数存在した可能性が指摘されている。
5人目の被害者メアリー・ジェインは、道徳的に見た際「最も残忍な殺され方」をしているが、医学的な見地に立てば「最も高度に外科的な殺され方」すなわち最も高度な技術の臓器摘出が行われており、医者を中心に別人の犯行の可能性が指摘されている。
「犯人が夜間、警察官に怪しまれずに徘徊し、被害者の女性たちに近づける」という点などから警官による犯行も疑われ、事件後内部調査が行われたが有力な容疑者は出なかった。
シャーロック・ホームズシリーズで知られる同時代の推理作家アーサー・コナン・ドイルは、切り裂きジャック事件については特に公式に意見は述べておらず、事件を扱った小説も発表していない。子息によれば、切り裂きジャックの正体について「女装した男性」であると自分の推理を述べたことがあったという。
当時のイギリス女王ヴィクトリアの孫、クラレンス公アルバート・ヴィクターも一時期容疑者の1人とされていた。
作家のパトリシア・コーンウェルが2002年に出版した『切り裂きジャック』(原題: Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed)では、自身で大金を投じてDNA鑑定や筆跡鑑定を行い、画家のウォルター・シッカートを犯人であるとして名指ししたが、現存している捜査資料や物的証拠に乏しかったため反論も多かった。実際、彼女の鑑定で言えることは、「切り裂きジャック」の手紙の一つをシッカートが書いた可能性が高い、ということである。
元警察官のトレヴァー・マリオット(Trevor Marriott)は、セントラル・ニューズ社のトーマス・ブリング(Thomas Bulling)記者がスクープ記事を書くために犯行声明の手紙を捏造し「切り裂きジャック」という人物を作り上げたとしている。
1997年にブルース・ペイリーが著書「切り裂きジャックの真相」で、FBIの犯罪捜査で使われているプロファイリングの手法によって、最後の犠牲者メアリー・ケリーと同棲していたジョゼフ・バーネットこそ犯人であるという説を発表した。その主張によれば、バーネットが殺人を犯した動機は、ケリーに恐怖心を与えて売春をやめさせるためだったという。警察は当初、バーネットを有力容疑者と見なして厳しく取り調べたが無関係と結論づけた事実がある。日本における切り裂きジャック研究の第一人者、仁賀克雄は、一連の著作の中で、「ペイリーのプロファイリングの設定に問題がある」と批判している。
2014年には、被害者の一人であるキャサリン・エドウッズの遺体のそばで見つかったショールと被害者・被疑者子孫のDNA鑑定により、アーロン・コスミンスキーが犯人であるという説が出された(ただし、同年、DNA鑑定の致命的な誤りを英Indepent紙が続報している)。