逆さの樵面

逆さの樵面

836 1/12 sage 2005/12/11(日) 20:07:10 ID:CUnu3Rn40

かつて日野草四郎篤矩によって神楽を伝承された4家は、その後も大いに栄えたと伝えられている。
ところが、姑曰く土谷家はその4家よりも古い神楽を伝えられているという。
日野家と同じ客人(まろうど)であった土谷家こそが、日野家以前に
この千羽に神楽を伝え、千羽神楽の宗家であったのだと。

ところがあらたに入ってきた遠来の神楽にその立場を追われ、山姫などいくつかの演目と面、そして縁起まで奪われてしまったのだと。

そしてこの樵面こそ、土谷家が今はいずことも知れない異郷より携えて来た、祖先伝来の面なのだと。
それを日野家由来とする資料は、ことごとく糊塗されたものだと。
そうした経緯があるためか、4家のみによる神楽舞の伝承が壊れたのちも、土谷家からは舞太夫を出さないという仕来りがあった。
しかし江戸時代の末期に、とうとう土谷家の人間が舞太夫に選ばれることとなった。

土谷甚平は迷わず樵面を所望したという。
ところが樵面を着けた夜、甚平は葉桜の下に狂い、村中を走った。
そしてこの世のものとは思えない声でこう叫んだ。

「土モ稲モ枯レ果テヨ。沢モ井戸モ枯レ果テヨ」

そして面の上から自らの両目を釘で打ち、村境の崖から躍り出て死んだという。
死骸から面を外した甚平の姉は、密かに面を持ち去り、土谷家の奥座敷の柱に逆さまにして打ちつけた。
その年より村は未曾有の飢饉に見舞われ、また「戸口に影が立った家」にはいわれ無き死人が出たという。

樵面は樵でありながら神そのものであり、その神に別の神の言葉を喋らせ、別の神の舞を踏ませたことが、面の怒りをぐつぐつと長い年月に亘って煮立たせていたのだという。
そして甚平の体を借りて呪詛を村中に撒き散らせたのだ。
いわば日野流神楽への土谷流神楽からの復讐だった。

その樵面は未だに土谷家の奥座敷にて、この村を呪い続けている・・・
姑の口から忌まわしい恩讐の話を聞かされた父たちは、その場に凍りついたままだったといいます。
憑き物がわずかに取れた顔で、姑は肩の力を抜きました。
「太郎さんはいけんよ。次は命がないけんね」
その言葉を聞いて、太夫や職員は色めきました。
姑はつまりこう言っているのです。

「太郎さんの目が見えないのは、むかし樵面を取りに座敷に入ったからだ」と。

結局一堂は土谷の屋敷から離れました。
そして近くの神社に寄りあって、どうしたらいいのか協議をしました。
壁を壊して座敷の裏側から面を外してはどうかという意見が出ましたが、土谷家の人間を説得できない限りそんな無法はできないという結論に至るばかりです。
さりとてこのままにはしておけない、と頭を抱えていたとき、一人の老人が寄り合い所を訪れました。

90年配の高齢と思しき老人は、自分が樵面を外すと言いました。
人に外せないなら、人ならぬものが外せばいいと。

再び土谷家へ出向いた一堂は、ことの次第を姑に話しました。
老人の手を握り、承知した姑は奥座敷に案内しました。
襖を開け、再び樵面にまみえた父たちは怖気づきましたが、控えの間から白い人影が現われたとき、えもいわれぬ安堵感に包まれたと言います。
山姫の面に格衣、そして白い布を羽織った老人が静々と歩みよって来たのです。
そして神歌とともに舞いながら、ゆっくりと座敷の内側に入り込んで行きました。
息を呑む父たちの前で、不思議な光景が繰り広げられていました。
暗い座敷の中で白い人ならぬものが舞っているのです。
太夫の一人が叩く神楽太鼓の響きの中、山姫はひと時も止まることなく足を運び、円を描きながらも奥の柱の樵面へ近づいていきました。
山姫の手が樵面へ触れるや否や、面の両目を打っていた釘がぼろぼろと崩れ落ちました。
100年以上も経っているため、腐っていたからでしょうが、父にはそう思えませんでした。
この襖の向こう側は人の領域ではないのだから、何が起こっても不思議ではないと、素直にそう思えたのです。

ちょうど舞が終わるころ、黒い樵面を携えて山姫が座敷から出てきました。
「もう舞うことはないと思っていた」
森本弘明老人はそう言って山姫の面を外しました。
『山姫の舞』『火荒神の舞』『萩の舞』
三舞復活縁起のまさにその人が、最後の『樵の舞』の面を取り戻したのです。
父は得体の知れない感情に胸を打たれて、むせび泣いたそうです。

 

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